長い夏休みも終わりを告げます(短い夏休みの所もたくさんあるようですが)
子供たちの元気な声が、我が家近くの小学校から
聞こえてくるのも、もう少し。
孫が持ち帰った朝顔の植木鉢。
7月7日に持ち帰り、今日までで150個の花をつけました。
だんだんと花の開きが悪くなり、朝方花を開いてあげないと
いけなくなりました。色もだんだんと薄い色に変わり
人間の命の歩みと同じようだな・・・と。
朝晩の水やりを、人間の命にたとえ
[朝顔が水を飲みたいと言っているよ]
[人間と同じだね。水をすって、枝の隅々まで運んでいくんだね]
ともすると、忘れてしまいがちの朝顔の水やりを
命に例えて、ご飯を食べること・水分をとること・たくさんが花が咲き
種ができるまで・・・。
優しい気持ちでそだてること(時には追肥が必要なこと)・・・。
朝顔の一鉢で、こんなにも学ぶことができる。
54日間咲き続け(夏休終了まで、 +2日)あと幾つ花をつけるだろう。
※小学生がなぜ朝顔をそだてるの?(ニュースより)
「アサガオは、小さな種から芽が出て、葉っぱが広がり、ツルが伸びて花が咲きます。そんな植物の基本となる育ち方の過程で、子どもたちは葉っぱや花の大きさに驚き、まっすぐ伸びないツルを支柱で支えてあげなければならないことなどを学びます。また、咲いた花は色水にできて、育てた最後には種もでき、その種を次の1年生にプレゼントできるんですね。つまり、成長とともに驚きがあり、ときに対応するため考える必要がある植物として、アサガオは適しているんです」
文部科学省の学習指導要領では“気付き”と表現している。文部科学省の方によると、
「生活科では、児童たちが植物を育てていく中で、植物の成長と自分の成長を照らし合わせるように授業をしています。アサガオ以外の植物でもいいのですが、アサガオは毎日休まずに世話を続けていると、多くの気付きがあり、自分の成長にも自然と気付ける植物のひとつなんです」
朝顔一鉢を育てることに、意義深さを感じた夏休みであった。
夏休みの最終を、孫4人をつれ軽井沢に。
日々、学童へ行く幼子に、せめても最後に体を動かして
2学期に備えてほしいという思いで出かけてみた。
大人の参加なしで、冒険にチャレンジ。
こわかった。楽しかった。できたよ。お世話してくださったお兄さんは
北里大学の医学生とか・冬にもおいでと言われたよ・・・・・
もう話が止まらない。なんと生き生きしていることか。
安全を考える学童保育では、冒険や危険なことは禁止。
沢山の児童が、これもあれもダメという制約の中で過ごす。
少しの怪我でも、大人が騒ぐこの頃、賠償責任は当たりまえの時代。
子供を保育してくださる人だけを責めるわけにもいかない。
しかし、夏休みという長い時間、朝から夕方まで
親の勤務時間より長時間を、過ごさなければならない。
共稼ぎ当たり前の時代、致し方ないことだが
小学低学年(1年から3年生)は、身体を十二分に動かせることが
必要なことは今も昔も変わりはないような。
制約のなかで、長時間を過ごす子供たちに後々でてくる
障害は何かな・・・と考える夏でもあった。
• お金を出せば私立の恵まれた学童保育もあるが
地域差は歪めないだろう。
・幼子は、来年の夏休みは計画を立てることを学んだ。
(人生と同じに、計画なければいきあたりばったりの日々を過ごすことになる)
・他の人とかかわる楽しさを学べた。
(両親だけでは得ることができない。自分だけでもない。人と人とは繋がっていること)
・助け合うこと・励ましあうこと。
・朝顔のように、お世話をすることで沢山の花がさくこと。
幼子と共に、学ぶことができた長~い夏休みに感謝であります。
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