私達が、聞いたことのある言葉に【目には目を、歯には歯を】がある。
自分が受けた害を相手にも、それと同じようにして復讐をすることのたとえとして言い伝えられている。
さあ、そのルーツはどこにあるのだろうか。
ハムラビが法典(イスラム教)は、目を傷つけられたら、相手の目を傷つける所まで足を傷つけられたら、相手の足を傷つける所までというように、やり過ぎを戒めるものだった。
実際には、【目には目を、歯には歯で】が正しいらしい。
詳しくは、下記参照下さい。
ハンムラビ法典 – Wikipedia
こうして、私達はひとり歩きする言葉や噂・ニュースや情報をそのままに信じて、次々と人々に伝えてしまう。
正しいと再認識しても、伝えた人々への訂正はなかなか広まらない。
世界でおこっている事柄は、私のような者には真実の行方はわからないが、報道されることだけで物事を判断することは危険なことのように思うようになった。
顔の見えないネットの中では、言葉尻をとって、ああだこうだと飛び交っている。
不思議なのは、沢山のフォローのあることだ。
真実はなにかを伝えようとしている人々の発言にはフォローが少数であるような。
【おもしろおかしく】を求めるばかりに、顔の見えないネットは恐怖なようにも思える。
何になにらしいよ・こうなんだって・・・の噂は氾濫し、尾ひれがついて本来よりも益々大きくなり広がっていく。
なんとも、人間の性の悲しさかとも思える。
昔々に比べると、何もかも豊かになった。
豊かにならなかったものは、心かもしれない。
日本の中でも、子どもたちが被害者になる事件が每日のように報道される。
大人(大きな者・強き者)は子ども(小さい者・弱き者)を慈しむのが今までの常識であったような。
この心の闇は、なかなか厄介かもしれない。
昔、教えていただいた記憶の中に苦労や失敗が多いのが人生。
それでも良いことも少々あるゆえに幸せを感じられるのだと。
每日が、楽しく苦労なしでは、幸せを感じられないのだろう。
(もっともっと)を求めれば、每日が不平不満の人生になるのだろう。
多くの人びとがほんの少しの幸せを求めるために、先に苦労や失敗や悲しみがあることを忘れてはならないのかも知れない。
【報復】という言葉が、今後どのような一人歩きをしていくのか世界だけではなく、一人一人の個人が、使い方を誤らないようしたいものだとつくづく思う。
※ 立春を迎え、春がそこに。
木々は、芽吹きの準備をし、草花の蕾も膨らんできた。
【春よこい、早くこい 歩きはじめた みいちゃんが 赤い鼻緒のじょじょはいて おんもへ出たいと待っている。
春よこい、早くこい お家の前の桃の木の つぼみもみんなふくらんで はよ咲きたいと待っている】 親から子へ、歌い継がれた童謡である。
古いと言われそうだが、穏やかの童謡は子どもたちの心をも鎮めるような気がするのだが。
大人の心も。
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