【賠償責任】
この言葉を最近見聞する機会が多くなった。
この日本の国で。
先進国(日本以外)では、遠い昔より当然の如く、人や物に危害を加えたと判断された場合、賠償をするのはあたりまえだった。
日本では、「お互い様」という言葉が使われていた。
自分が困っている人を助ける時に、その相手に気を使わせないように言う、気遣いの言葉だ。
ところが昨今は、助けて欲しい人ほど、「お互い様」を使うといいのだ。
なかには、用事を頼んで来る人に限って「お互い様よね」というとか、ママ友の中でも、何時でも車出しを強要する人に限って「お互い様よね」と言葉を使うとか。
助けていただく側が、「お互いさま」と言う言葉は使わないが、いつの日か・・・使われ方が間違ってきたのだろう。
こんな言葉の使い方も間違ってしまうほど、代々の歴史は伝えきれていないのだろうか。
3・11も、丸三年が間近だ。
まだまだ多くの問題をかかえ、被災者の方々が心休まる日は程遠いのかもしれない。
ここでも、賠償の問題が、裁判所で受け入れられた人・却下された人。
賠償を受けられても、「お金がもらえたのだから」と言われ、心を痛めている人。
表面化される問題はごくわずかだか、賠償請求するにも期限が間近となった。
自然災害の賠償問題は、これからも起こりうると言われる最大規模の地震。
国・市町村・学校・保育所という公的期間・社会という会社や交通機関・デパートやテーマーパーク・民間の幼稚園・保育所などなど。
公的期間は、税金からの賠償・他は保険会社からの賠償となりうるわけだろうか。
請求額が多大になればなるほど税金はUPし、一般的には保険会社が保険料をUPしていくわけだ。
こう考えれば、私達一人ひとりの個人が、知らず知らずのうちに家庭の首が締まっていく。
企業が賠償のために多額の賠償を負えば、会社破綻となりうることもあり、そこで働く人々が職を失い生活が成り立たなくなる。
生活保護という機関に頼らなければならなくなり、巡りめぐってまた公的期間の資金の悪化となり、税の見直しと・・・。
法律に則って、賠償請求は決められるが、その見解も千差万別。
すべてが、賠償請求ができるとは限らない。
最近、ネットでは【被害者の味方です】という弁護士の宣伝も多く見受けられる。
氾濫する情報に、何が正しいのかわからなくなるのが現実でもある。
災害3年を間近にし、多くの報道がなされている。
垣間見る報道ではなく、真実は伝わってこない。
国も市町村・企業・その他、そして個人一人一人も、大きな悲しみに対して個人が満足できるものは「元に戻して!」しかないだろう。
可能でなければ、保障しなければならないもの・市町村に戻れるのか否か・支援はいつまで、被災者の支援金はいくら・いつまで。
災害後に亡くなって、災害認定を受けられる定義は・・・。
明らかにすることにより、もっとより良い支援ができるのではないのだろうか。
賠償は、自然災害ばかりではく、そこかしこで起こっている。
未成年者の自転車事故で、親に高額な賠償責任ありとの判決もでた。
被害者・加害者に、だれでもなりうることかもしれない。
私だけは・・・・は、ありえない時代となった。
無差別な犯罪が拡大しつつある(ここも賠償責任となりうる)。
悲しみと解決できない憤りを覚える。
貧しさなのか・社会不満なのか・家庭不満なのか・・・病気なのか。
沢山のことが交じり合い、これが原因だということはないかもしれない。
ふと見えてくるのは【家庭】【信頼】などの言葉だ。
村木厚子氏のお名前を記憶している方は多いと思う(誤認逮捕)。
村木厚子 – Wikipedia 村木氏が「おまわりさんと先生とお父さんの信頼がない社会はダメですね」と発言されていたのを記憶する。
(文章の言い回しに違いがありましたらお許しを)
この言葉に、耳が痛いと思える人は、今の時代どのくらいいるのだろう。
沢山の人が、考えてくださるといいのになあ・・・と思う。
本の紹介
【家族難民】 山田昌弘著 朝日新聞出版
孤独死が多くなっているが、この先はもっと多くなるだろう。
生涯未婚者25%社会の衝動(副題)
自分を必要として大切にしてくれる存在がいない人たち=家族難民
せめて、家族は家族を必要とし大切にする存在なのだと自覚できるようになりたいと思う。
私達は、一人では生きられないのだから。
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