毎年・毎年繰り返され新しい人生のスタート 4月がもうすぐ。
卒業式・卒園式も終わり、新しいスタートを始める小さな子どもたちの姿。
集団の荒波に足を踏み込む・楽しいことも・つらいこともあるだろうが、期待に胸を膨らませる子どもと親たちだろうか。
その反面、高学歴者の就職が思うようにならない。
若者たちは、希望にみちて社会人になることができないでいる。
20代で7.5%、30代前半で5%という。
20代で仕事につけれなければ、社会人としての基本はなかなか身につけられないだろう。
30歳を過ぎて、だれが社会人としての基本を教えるかというと、なかなか難しいものがある。
すでに基本はマスターしたものとして接するのは当然なことだが、就職をしても集団という社会組織になじめず離職していく若者が多いと聞く。
ウィキベディアには、就職氷河期の推移が記されている。
就職氷河期 – Wikipedia
(1)1960年すなわち団塊の世代である私も就職氷河期だった。
(2)団塊世代のジュニア達も1997年のアジア通貨危機、1999年の産業再生施行法には人員削減により雇用不安定であった。
我が子も私も現在と同様、就職氷河期を体験しているわけだ。
今の就職氷河期と前氷河期では何か違うのだろうか。
(1)の時代は、まだまだ貧しい時代。
学校をでれば働いて家庭にお金を提供する。
就職できるところであれば、何が何でも就職をするという考えであった。
(1)の時代は、団塊の世代はバブル期を経た親たちがいたわけだが、それでも就職をしようと意気はあった。
正社員で働けるところという時代であった(税金を払うという考え方)。
まだまだ家庭という組織が破壊されていない時代だったかもしれない。
そして、社会が就職した若者に社会人としての基本を教えてくれ、尚且つ育てるという意識があった時代かもしれない。
それでは、今の就職氷河期と前記(1)(2)とはなにか違うのだろうか。
フリーターという言葉が横行し、管理される正社員ではなく自由に生きたいという若者が増えた。
その結果、経済の悪化により企業も悪戦苦闘となる。
即戦力と言う言葉も当然のようになり、若者が社会の基本を身につけているのは当然。
そのうえ、仕事もできて当然という風潮になった。
国を挙げて若者の就職をと唱えるか。
いつの時代も就職氷河期はあった。
時代は繰り返すという事実かもしれない。
仕事が探せない若者は、何時しか【生活保護】という、国民の最低生活を保障を受けるという権利を利用するようになった。
働いてお金を得るより、家賃が保障され、生活費が保障され、医療が保障されるという、国民の生きる権利という制度を利用する若者が増加している。
とあるテレビのインタビューで一人の若者が、
【生活保護費支給日以外は1日家にいる】と答えた。
親に出て行けと言われ、生活保護生活になったと。
【楽しみはなんですか】の問いに、大きな箱から出されたものは4、5万はするラジコンであった。
【働かないのですか】の問いに、【働かなくてはと思いますが…】と言葉を濁した。
すなわち楽に暮らしてしまうと社会人としての意識、この国がどうなってくのだろうという危機感も薄れ、今が良ければとなってしまうのだろうか。
50部屋あるアパートは、少し前は4万円の家賃が、すべての部屋が生活保護者入居により、単身世帯53.700円(生活扶助費の東京での金額)と家賃はUP。
このアパートは、満室であると。
生活保護ビジネスと言うべきか…恐るべし!!
1週間に1度の炊き出しということを聞いたことがない人はいないだろう。
路上生活者の為に行われていたことが、今は炊き出し日には生活保護者が行列をつくるという。
1食の配給を3食分ゲットし、食費が浮いたともいう。
路上生活者の一人は、
【炊き出しの行列に何時間も並ばないよ。仕事ができなくなる】
と言った。
その仕事は、缶を集めて自らの生活を支えているという。
靴を得る方法・食を得る方法をキチッと行い、それにありがたいとも言う。
【生活保護を受けることは考えないという。その時は自らの命を絶つ】
という言葉は、どんなことをしても自らの生活は自分ですることだと今の社会に一石を投じているように思う。
佐藤満氏「元ゼネラルモーターズ(株)代表取締役社長」の【原因自分論】
人のせいにしない。いかなることも自分に降りかかることは自分に原因があるという考え方という。
時代が悪い・社会が悪い・学校が悪い・会社が悪い・業者が悪い…などなど。
すべてが自分以外に向けられるエネルギー(牙)を自らに向けることにより、より良く生きることができるのではと思う。
昔の人は言ったものだ。
【働かざる者、食うべからず】
旧ソビエトでは労働は労働能力ある市民の義務であり、名誉であると。
日本では、勤労の権利を有し、義務を負うとなる。
社会主義者などと言われそうだが、何が何でも時代や社会に責任を問うのではなく、まずは幼稚園や小学校入学の子どもに【なぜ】【どうして】と言う言葉に親は戸惑った経験があるだろう。
大人になると、なぜかプライドと言う悪魔に押されて生きるようになってしまう。
【なぜ】【どうして】を自らに問いかける日々を大人も研鑽しても良いかもしれない。
新しい出発は、いつでもできる。
春は、子どもも大人も新しい出発ができる季節かもしれない。
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