TPP参加や普天間の問題、3.11被災地瓦礫受け入れ問題など、100年先の日本の未来の問題がここにあり。
世界での一つの国としても、日本国内の災害におけることに関しても、起こってしまった復興の問題も大いに議論されている。
TPP賛成・反対。
ここにも議員、先生と言われる人々の次回選挙が垣間見える。
TPP参加に農業・医療にかかわる人々、それに支えられている議員先生方は反対を唱える。
TPPに参加しなければならないという人々は、開かれた日本を作らなければならないという。
まずは参加し、議論に加わるテーブルに乗り、それでも日本という国益に不利であれば参加取り消しをするしかない。
TPPの規約作りに参加し、日本の考え方も入れ込んでいただく。
優しく言えば、こういうことになるのだろうか。
日本も世界の国の一つと考えれば、物事のテーブルに乗らなければ是非も問えないのであろうが。
日本の農業は発展をしてきたのだろうか?医療は開かれてきたのだろうか?と、保護されてきたものに未来は見えるのだろうか。
昔、日本には鎖国という時代があった。
鎖国 – Wikipedia
坂本龍馬といえば知らない人はいない。
時代の改革者でもあろう。
歴史を好む人は多いが、2011年という年になっても、今後の日本を想像し改革を行わなければ、自らを守るだけになる。
そこには、新しい時代は訪れないだろうと思う。
しかし、皆中流時代のこの国に、新しい時代は訪れるのだろうか。
3.11被災地の瓦礫問題で、東京都知事の発言は正論であろう。
瓦礫受け入れを決めた都に対して、都民の反対の声。
3000件以上のメールや電話とか。
石原慎太郎知事は4日の定例会見で
「(放射線量などを)測って、なんでもないものを持ってくるんだから『黙れ』と言えばいい」
と語った。
「放射線が出ていれば別だが、皆で協力して力があるところが手伝わなければしようがない」
と指摘。
「皆、自分のことばかり考えている。日本人がだめになった証拠だ」
と述べた。
このように掲載された(11月4日 新聞のニュースより)
どこの地域でも、反対意見がでてくると物事は取りやめになる現状。
京都でもあった。
被災地に残った松の木の移転も、住民の声で没になったと記憶する。
物事を起こすときには、賛否両論はあって当然。
だが、敗戦をした日本の国が、現状の時代になったことを振りかえれば、皆がお互いの我慢の中、お互いを思いやり、努力を重ねて日本ありとなったのではないだろうか。
その時には、必ずコントロールタワーが存在していた。
強いリーダーである。
コントロールタワー不在は地域・学校・社会・会社・そして国会という日本国の中枢機関でも起こっている。
コントロールタワー不在は、何も起こらず、何も進まず、現状維持を保つだけだ。
進むも退くも、決定できない人々の集団となり下がってしまったように思える。
これは家庭でも起こっているのではなないだろうか。
昔のように、威厳のある父親はいなくなった。
時代と言えば時代でかたづけられるが、それでは威厳を夫に持たせ、それをフォローできる母はどうかと言えば、こちらも危うい。
家庭でもコントロールタワー不在は、秩序ある生活はありえず、個々の思うままである。
家庭は、社会にでて生活できるように子供を導く一番小さな社会なはず。
学校が悪い、友達が悪い、ママが悪い、パパが悪いと責任の所在も不明になってきている。。
TPPの問題は、まずテーブルに着くところから始まるのだろう。
災害地の本当に復興は、瓦礫の山を各自自体が引き受けて排除しそのあとに、真の復興ができるのだろう。
家庭・親の責任とは何ぞやと問えば、責任の所在を他者に押し付けることはないだろう。
責任をむやみに押し付けず、真の責任を取るのはどのようなことだろうと考えたい。
個々は、【自らの責任には何かを考え】
会社・働く人々は【ともに企業発展と生活の糧を得ることを考え】
それぞれの議会や国は【この国の100年先が見えるような改革を】
そして、自らを守るのではく、大きなマクロの中に小さなミクロの個人がいるということの認識を持ちたいものだ。
反対を声高らかに上げるだけではなく、どうすれば良いのか具体案を述べてほしいとつくづく思う。
今、日本の国が考えることは、世界の中にある日本であること。
鎖国の時代とは異なること。
この国の歴史が破たんのなきよう改革を進めていき、100年先も日本の国が良き時代であるためには、私たち一人一人が我欲を抑えて暮らしたいものだ。
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