あちこちで秋祭りが、盛んに行われている。
目黒駅の付近では【さんま祭り】
災害に遭われた気仙沼や宮古から秋サンマが届けられたと聞いた。
今年は無料ではなく、チャリティとして…。
日本橋の【べったら市】
その昔、江戸時代から歴史ある「えびす講」にお供えする為に、大根などを麹につけて売られていたのが始まりとか。
鎌倉では、能の奉納も行われる。
全国では、歴史ある名高い祭りが目白押しだ。
9月には大阪のだんじり祭り、岩手では花巻まつり。
10月に入れば長崎のくんち、兵庫では瀧のけんか祭り。
沢山の祭りだ。
小さな祭りも入れれば、書き切れないだろう。
日本では、毎日どこかで祭りが行われているような。
さて、祭りは大自然に感謝をすることと言われる。
漁労や農耕で生活をしてきた日本人は、自然を恐れ、恵みに感謝をする為であると。
秋の祭りは、ことさら収穫に感謝をする祭りであるわけだ。
私ごとで恐縮ではあるが、昔は食べ物に感謝をしていただいた。
親が、そう躾をしてくれた。
食卓はそう豊かではなかったが、母の手作り料理だった。
肉といえば、豚肉・鶏肉であった。
お茶碗のご飯に盛られた白米を一粒でも残すと、
「目が潰れるよ」
と言われたものだ。
それほど農業や漁業を営む人々に感謝することを教えられた。
今は、どうであろうか。
日本人の残す食べ物は、知らぬ人がいないぐらい膨大なものだ。
コンビニでも、時間がたてば捨てなければならないという約束ごと。
賞味期限・消費期限…、昔はなかったな。
口に含んで、
「あ、これは食べてはダメ」
という時代だった。
すなわち、人に頼らず自らの責任において、食べても良いものかを決めなければならないわけだ。
昨今は、生産者が悪い・小売店が悪い・調理人が悪いと、責任の所在はいつでも自分ではない。
もちろん、偽装をする者もいる時代だから、安易に自らの責任においてとは言いにくい時代にもなった。
お祭りから話が遠くなってきたが、ただ観光だけの祭りではなく、祭りの深い歴を知り見聞することで、自らの今の生活に感謝が生まれてくるのかも知れない。
祭りは、代々受け継がれていくもの。
長老が若者を指導し、その繰り返しで伝統が受け継がれてきている。
私たちの生活や生き方も、祭りのごとく受け継がれていくことが沢山あるはず。
若者は耳を傾け、年を重ねた人々は歴史(生活)を語る。
もう一度、日本人が日本人として生きるすべを振り返るのも良いかもしれない。
世界人口の増加で、魚も需要に追い付かないという報道を目にしたり、あばら骨が浮き出るほどの食糧危機の国々も放映される。
葉物野菜は高騰し、コメは放射能汚染の有無、肉の行方も心配。
秋の祭り・食欲の秋。
夏の暑さを忘れるほど、秋は心が休まる季節だ。
食べ物も美味しい。
紅葉も絵になるほど美しい。
秋の祭りを通して、もう一度【感謝の意義】を考えて見たい。
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