サザエさんというアニメを知らない人はいないだろう。
昭和21年。
戦後、4コマ漫画から始まった長谷川町子氏原作の話だ。
今でも色あせることがないのは、なんとも凄いとしか言いようがない。
参照下さい。
サザエさんは、大家族である。
磯野サザエさんとフグ田マスオさんが結婚し、最初は同居はしていなかったが、とある事情で同居が始まるという下りがある。
家計図やら磯野家の間取りまでPCで見ることができる。
さあ、話はここからである。
【母がしんどい】母のこと大嫌いでもいいですか
田房永子氏 新人物往来社
【母が重くてたまらないー墓守娘の嘆き】
信田さよ子氏 春秋社
【母は娘の人生を支配するーなぜ[母殺し]は難しいのか】
斉藤環氏 日本放送出版協会
【私は私。母は母。】
加藤伊都子氏 単子本
昨今、なぜ母娘に対する内容の本に、脚光があたるのか。
昔は、息子に対する『マザコン』という言葉や、出版やテレビ、ドラマでの『マザコン』の話題は事欠かなかった。
「だれだれさん、マザコンよね」
女性の冷ややかな言葉が飛び交った時代があった。
記憶に残っている人も多いだろう。
8月29日号の[思うまま感じるまま]でも述べたが、2世帯住宅・2.5世帯住宅と住宅産業のコマーシャルベースに乗せられ、[嫁姑問題]としてメディアで取り上げ、結果的には娘と住むのが一番良いのだという、要はマスオさん的生活を植え付けられてしまって久しい。
サザエさん的マスオさんの住宅は昔ながらの住宅であるわけだ。
部屋だけ別にあり、あとはすべてが共有ということだ。
サザエさん市場のHPより
昔の二世帯住宅は、こんなものだったとつくづく思う。
人間はずるいもので、親と一緒に住むのであれば、すべてが別という生活を望んだ時代がある。
それが二世帯住宅と呼ばれる住宅だ。
昔の二世帯で住むということは、お互いの我慢も必要であった。
嫁が姑がという問題だけがクローズアップされてしまい、実質(お互いが学べる)を見るのではなく、一部分の声を出したものだけが一人歩きをし、ワイワイがやがやと世間に広がっていったわけだ。
同じ住居であっても、すべてが別という。
結婚しても、娘に「いつでも戻っておいで」と言った時代。
昔は「あなたは嫁いだ人間、あちらに従いなさい」と言われた時代。
どちらが、本当に娘の事を考えているかと考えれば・・・一考の余地ありかもしれない。
親子は、いずれかは独立し離れていくものだ。
相手側に可愛がっていただけるよう、実母は最大の努力をしなければならないと思うのだが。
可愛さのあまり先の先まで読めない女性の浅はかさを悲しく思う。
同居は、長男に嫁いだのだから親の面倒はあたりまえの時代から、娘夫婦と同居するのが一番上手く行くと言われた時代。
娘の夫が長男であれば、それはそれは娘の夫の家庭まで破壊をさせてしまう。
長男夫婦が面倒を見るのを当然と考えていても、娘は「私が見ると」言い張り「夫もいいよと言ってくれている」
その結果は、夫の姉妹が激怒し、夫の兄弟の関係は最悪になってしまった事例もある。
長男は、親戚づきあいも疎遠となり、なになに家の家を継ぐこともなく、苗字の変わった娘が最後の墓守まで可能なのか疑問に残るわけだ。
母親も娘を選び、娘も自らの親を選ぶという周りを見渡せない慣れ合いの中、お互いに年を重ねると・・・「なぜ・・・私だけ」という犠牲感を感じていくわけだ。
親は娘に対して、コントロールできる子供として操り始めた。
娘は、錯覚を起こし[選ばれた人間]として解釈をしてしまったわけだ。
しかし、時が経てば、お互いに年を重ね、経済が変わればお金の意識もかわりゆき親も衰えて行くわけだが、そこまで考えずに[選ばれた人間]として過大解釈をしてしまい、長男というその家の柱を折ってしまったわけだ。
娘は、異様に纏わり付く親に閉口していても離れることは不義理と思いつめ、いつになっても親娘の関係は一人の人間同士という関係にはなりにくいのだろう。
母子癒着とは、良く言ったものだ。
最終は[私が親を見ているの…]という悲劇のヒロインを演じていくわけだ。
もちろん、すべての家庭で起こることではない。
上手く暮らしている人々も沢山いるのも事実だ。
昔、夫婦・子供2人、いつかは長男であるから親を見るのは当たり前の意識で、家を建てる時は必ず部屋を余計につくるという生活をしてきた。
(家を建てる支出は、もちろん多大になるわけだ)
我が家も前記のように、母親は娘に従い親を見ることはなくなった。
そんな矢先、子供夫婦から共に暮らすという申し出を受け同居となった。
今流行の二世帯住宅にするつもりは無い旨を伝え、嫁・姑どちらもお互いに我慢が必要であり、どちらに比重がかかることはない。
嫁と思わず、娘と思うがゆえ、叱ることもする。
もちろん嫁の味方になる時もある。
こんな条件の中での同居だ。
家計費はオープン、食事は毎日同じ物を食べ、作るのも片付けるのも協力をする体制で早5年が過ぎた。
寝るときだけは、若夫婦は2階へ。
昨今は孫も生まれ、俗にいう三世代世帯となった。
親の居住地帯は孫に占領されている昨今だが、三世代世帯で住む良さも味わっている。
人間、自由の尊重を声高らかに言うよりも、多少不自由な生活や我慢は、人に知恵を与え工夫を生ませる。
そして、何よりも人を重んじることができる。
老いたものからは生きてきた歴史や子育て・食事や掃除の知恵を、若きものからは今時の近代的PC機器を教わり、新しい物事を教えられる。
もちろん孫からも、教わることは多々ある。
新旧交わることにより、人間はより深くなるのだろう。
上記ご紹介をした本の題名の重さが、多くの被害を生まないよう祈るばかりだ。
しかし、少し前までもてはやされた事が、重たい問題になる。
時代と共に、物事は変わるということを肝に銘じ、コマーシャルベースに踊らされず、自らの根幹を見失わないことが、いかに大事かとつくづく思うこの頃である。
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